山海の幸、人の幸、美食家垂涎の味に酔う。
偉人が見染めた名湯に、身も心もときはなつ。
温かなもてなし、旅情あふれる湯の里の宿。
旅の想い出に彩りを添える、郷土の逸品。
目にも、体にも、心にも、感動サプライズ。
歴史と風土が織り成す、感激のひととき。
思いは深く、この地を愛する情熱人たち。
後世に語り継ぐ、豊浦ゆかりの偉人列伝。
コルトーを愛し、川棚を想い続ける、視力を失った天才ピアニスト
音楽を通じて、悲しみ、喜び、激しい感情のドラマを表現する全盲のピアニスト梯剛之(かけはし・たけし)さん。天賦の才能とたゆまぬ努力が紡ぎ出す繊細で美しい響きは、国内はもとより世界中で高い評価を獲得しています。生後1ヵ月で右目を失明した彼は、4歳から本格的にピアノを習い、才能が開花。小学校卒業と同時にウィーンに留学、13歳でガンが再発し、左目も失いましたが音楽を決して諦めることはありませんでした。そして、1998年には若手演奏家の登竜門であるロン・ティボー国際ピアノコンクールで2位入賞およびSACEM 賞(リサイタル賞)、シュビオンボノー財団賞をはじめ数々の権威ある賞を受賞。一躍脚光を浴び、国内外のオーケストラはもとより、小澤征爾、ジャンフルネなどの世界的指揮者との共演も果たしました。そして2005年、梯さんはクラシック音楽の普及を目的に「子供に伝えるクラシック委員会」を設立。2006~2010年の間にクラシック音楽を紹介するDVD(モーツァルト、シューベルト、ベートーヴェンの3部作)を制作し、全国の小学校・特別支援学校24,000校に無償配布。さらに、児童を対象とした演奏会はもとより、小児がん研究や障害者のためのチャリティーコンサートなど、クラシック音楽を通じてさまざまな社会活動にも精力的に取り組んでいます。
音楽一家に生まれ、生後間もないころから音楽が身近にあった梯さん。生後10ヵ月を過ぎたころ、お気に入りのひとつだったリヒャルト・シュトラウスの「四つの最後の歌」のレコードをかけると、その一節を正確な音程で歌ったとか。まさに、天才の片鱗を垣間見るエピソードです。そして、本格的に音楽の道を歩みはじめた梯さんは、13歳の頃に聴いた一枚のCDに衝撃を受けました。それが、20世紀前半の世界的ピアニスト、アルフレッド・コルトーが奏でるショパンでした。その豊かな詩情と多彩な感情が織り成す美しい演奏、「僕が追い求めていた音はこれだ」。一瞬で魅了された梯さんは以来、コルトーを深く敬愛するようになりました。また同時に、コルトーが念願の日本公演(1952年)を果たした際に立ち寄り、その美しさを絶賛した川棚の地にも強い憧れを抱くようになっていきました。「コルトーが愛した川棚をいつかは訪れたい」。そう母親に語っていたという梯さん。日ごとに高まる川棚への想い。そしてついに、彼 が抱き続けた想いは現実へと実を結んでいきます。
念願の地、川棚でコルトー像と対面 |
念願の地、川棚でコルトー像と対面2 |
2014年2月10日。その日、梯さんは念願の川棚の地を踏みました。敬愛するアルフレッド・コルトーの名を冠する川棚の杜・コルトーホールで演奏会が開かれたのです。地元、川棚小学校の児童約230人が招かれて開催された同演奏会では、ドビュッシーの「映像」、ショパンの「ノクターン」、シューマンの「子供の情景」などから10曲を演奏。川棚小学校の児童はみんな真剣な表情で、梯さんの演奏に聴き入っていました。「コルトーへの感謝を込めて弾きました。子どもたちが身を乗り出して聴いてくれるのが伝わりました」。演奏会終了後にそう語った梯さん。「コルトーの残した音楽のバトンをつないでいってほしい」とのメッセージを送ってくれました。
そして、演奏会の翌日、地元の有志の案内で川棚の散策を楽しんだ梯さん。コルトーが天国のような島と評した孤留島を望める青龍湖や川棚のクスの森を巡りました。「コルトーが愛した川棚で同じ空気を吸いながら弾けることをずっと夢みていました」と感激しきりの梯さん。「今回の川棚訪問は、僕のこれからの人生の転機になる」「川棚で骨を埋めたい…」とまで語ってくれました。コルトーが川棚に蒔いた夢の種、それは梯さんに受け継がれ、新たな感動の花を咲かせたのです。
青龍湖より孤留島を望む梯さん |
川棚のクスの森の息吹を聴く |
コルトーホールでコルトーの写真と記念撮影 |
コルトーホールでの演奏会の余韻が続く3月9日。梯さんは「橋元才平翁記念第16回ファミリーコンサート」への出演で、再び下関市を訪れました。梯剛之ピアノリサイタルと題された同コンサートでは、山口県立下関南高等学校管弦楽部と共演も実現。その美しい演奏に多くの聴衆が魅せられました。音楽を通じて下関・川棚との縁(えにし)を結んだ梯さん。コルトーがこよなく愛した孤留島へ渡りたい、その想いがますます強くなっていきました。
そして2014年7月27日、梯さんの念願であった孤留島(厚島)訪問がついに実現することとなりました。港から漁船で約10分ほどの距離でありながら、孤留島は桟橋もなく普段は渡ることも困難な無人島です。地元漁協などの協力により、小串小学校の夏休み恒例行事にあわせて、6年生13人と共に憧れの孤留島へ。島では子どもたちと海水浴やスイカ割りを楽しんだり、とれたてのサザエやウニなど孤留島の海の幸も満喫!孤留島に渡ることなく他界したコルトーの想いを叶えた梯さん「念願が叶いました。感無量です」と満面の笑みを浮かべていました。 「タイムスリップした気分でコルトーと対話しながら島を満喫したい」と言われていた梯さん、孤留島でコルトーのC を聴きながら、きっとコルトーと熱い音楽談義を交わされたことでしょう。地元の方のあたたかいおもてなしにも感激され「最高です。天国ですね」とうれしそうに話されていました。コルトーと川棚の物語、梯さんがまさに懸け橋となって、大切につないでくれました。梯さんと川棚の物語もこれからいくつもの章を重ねていくことでしょう。
子どもたちに囲まれ海水浴を楽しむ梯さん |
美しい孤留島の砂浜でスイカ割りにもチャレンジ |
1977年8月2日、東京に生まれる。父はビオラ奏者、母は声楽家。小児がんにより生後1ヵ月で失明するが、音に対する秀でた才能を見せ、4才半より本格的にピアノを習う。90年ウイーン国立音楽大学準備科に入学。94年チェコの盲人弱視者国際音楽コンクール、ドイツのエトリンゲン青少年国際ピアノコンクール(B カテゴリー)で参加者中最年少で優勝。 95年アメリカのストラヴィンスキー青少年国際コンクール第2位。97年村松賞受賞。98年ロン・ティボー国際コンクール(パリ)第2位およびSACEM 賞(リサイタル賞)、シュピオンボノー財団賞を受賞。 99年都民文化栄誉章、出光音楽賞、点字毎日文化賞をそれぞれ受賞。00年ショパン国際コンクールワルシャワ市長賞受賞。 現在までにプラハ響、国立サンクトペテルブルク響、フランス国立管、ドレスデン歌劇場室内管、 ザルツブルク・モーツアルテウム管、マーラーチェンバーオーケストラ、スロバキア・フィル、仏国立ロアール管、オストロボスニア室内管、ロイヤル・ストックホルム・フィル、N響、読響、新日フィルなどのオーケストラ、小澤征爾、ジャン・ フルネ、ガリー・ベルティーニ、ユベール・スダーン、アラン・ギルバート、小林研一郎、ゲルト・アルブレヒト、ファビオ・ルイージ、ダニエル・ハーディングら数多くの指揮者と共演。韓国、タイ、米国およびヨーロッパ各地で演奏するなど、世界規模で活躍している。
公式ホームページ:http://kakehashi-takeshi.com/
Photo : Koji hamabe / manabu hieda
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