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種田山頭火
花いばら、ここの土とならうよ
心の動きをあるがままに、かつ自然に表現する自由律俳句。それを代表する俳人として、今も多くの人たちから親しまれている種田山頭火(1882~1940年)。山口県西佐波令村(現・山口県防府市)出身の山頭火は波乱の半生の後、大正14年(1925年)に出家得度し、翌年より西日本を中心に旅をしながら句作を行いました。昭和7年(1932年)に川棚温泉を訪れた山頭火は、その自然の風景といで湯を心から楽しみながら100日ほど滞在し、数多くの句を詠みました。山頭火は「川棚温泉は私の好きな風景だ。山裾を丘陵にめぐらせ地形においても申し分がない」と称賛。また、「川棚は自分を最も落ち着かせてくれるところである。やはり自分はここに庵を結びたい。茨の花の白く咲くこの土。ここで死んで、このあたたかい温泉の涌く土に埋めてもらおう」と日記に綴り、「花いばら、ここの土とならうよ」の句を残しました。妙青寺の境内には「湧いてあふれる中にねている」の句碑があります。